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ある下水道課職員の一日 (2022/08/01)
第1話
クレーマー×『お見立て』
作:那須 基


 「ジー課長、また例のクレーマーからお電話が来ていますが、どうしましょうか?」
 僕はエム補佐。ここエクス市の下水道課で働く公務員だ。下水道課の日常は激務である。公約に沿って市長肝いりで進めた行革のおかげで十分な職員が確保できず、一人で何役もこなさなくてはならない。
 「エム君。すまないが、私は病気で休暇を取っているとでも言っておいてくれ」
 課長、そんなバレバレのウソは絶対ダメですよ。僕は思わず出かかった声を何とか飲み込んだ途端、
「課長! その言い訳はこの間の電話で、あたしが使いました!」
 僕の背後からエー係長のよく通る声が飛んだ。エー係長は正義感が強く一本気で、ジー課長とははっきり言えば反りが合わない。下水道課にはまだ少ない女性職員だが、今の時代、男女の差は全く感じずに前向きに仕事をするタイプだ。
 「でもさぁ、エーちゃん。そんなこと相手は覚えてないんじゃないかな。それとも何かな? エーちゃんは細かく言い訳の記録でも取っているのかな? だったら見せてよ」
 エー係長は、課長に「エーちゃん」と呼ばれると腕にブツブツができると言っていたので、僕はそっと係長の腕に目をやった。
 「いえ。そんな記録は取っていません」
 腕には何もできていなかったが、係長はあからさまに不機嫌な顔で、音を立てて椅子に座ると、PC作業に戻ってしまった。
                                   *
 辺りに変な空気が流れるなか、僕は電話の保留ボタンを解除して、クレーマーに課長の不在を告げた。
 「なんだ、病気? こないだも病気だったな。それなら今度は入院だろう。見舞いに行くから病院を教えてくれや」
 クレーマーもこちらの状況を察して、わざと言っているに違いない。僕はそう判断し、クレーマーに話を合わせることにした。
 「駅前の山谷病院です」
 「それなら早速行ってみるわ」
……どこまで嫌がらせなのだろう。クレーマーがわざわざ病院に見舞いになど行くはずがない。だがこういう場合には、念には念を入れておくに越したことはないのだ。
 「いや、すみません。確か昨日転院して、地元の病院に入ったのをうっかりしていました。課長の地元は考えられないくらい田舎なので、見舞いに行くと目立ちますよ」
 額に汗がうっすらとにじんでくるのが分かる。と同時に、いつものあれが始まってしまった。
                                   *
 ある種の特異体質と言って良いと思うのだが、子どもの頃から、僕は何かに追い詰められたり緊張を解いたりするなど精神状態に変化があると、瞬間的に気が遠くなるような感触に襲われ、同時に自分を含めた辺りの景色が俯瞰的に見えるような感覚になる時がある。
 例えるなら、SFやオカルトで出てくる「幽体離脱」のようなものだろうか。
 幽体離脱状態になると、僕は極端に冷静になり、時間の感覚が薄くなり、ある意味冷徹で原理的で極めて第三者的な考えを持つ人間になってしまうのだ。
                                   *
 ―――――まるで落語の『お見立て』だな。
 学生時代は落語研究会、いわゆるオチ研だったこともあり、こんな時の俺はクールに眉をひそめつつ、状況を落語に例えてしまうクセがある。マクラのように初めに浮かんでくる言葉は「あー、くだらねぇ」が多い。
 落語の『お見立て』というのは、吉原の花魁からウソの病気を理由に嫌な客を追い返すよう命じられた男が、ウソを重ねるうちに花魁が死んだことになってしまい、最後は墓場まで客を案内する羽目に陥ってしまう噺だ。お見立てとは、吉原で相方を選ぶことを指す。
 俺もジー課長の無茶な命令になど付き合わずに、いや、そもそもジー課長になど相談せずに、初めから俺が厳としてクレーマーに向き合えばよかったのだ。ひとつのウソが次のウソを生み、収拾が付かなくなってしまうなんて、まるで落語と同じだ。
                                   *
 「あー、くだらねぇ」
 幽体離脱中で半分無意識状態の俺は、心の中でそう呟いてから、相手に発言を許さないようなドスの利いた低音口調でクレーマーに向かって言った。相手は怒るかもしれないが、ここでサゲなければ俺としては終われない。
 「本当に見舞いに行くなら、病院はどこでも好きなところを、どうぞお見立てを」

【ちょっと一言】
 下水道の現場では、さまざまな問題が日々生じています。下水道は特に市民生活と近いので、管路の布設工事、処理場やポンプ場からの騒音・悪臭など、市民の生活環境に直接影響を与える場面も多いですよね。下水道の現場では、極力周辺への影響を低減するよう事業を進めていますが、それでも敏感な市民の方からはご意見をいただくことがあります。
 筆者の実体験でも、苦情をいただき挨拶に行った初対面の方に、渡した名刺を破り捨てられたことがあります(涙)。でも大事なのは、そのような場合でも決して怒ったり感情を高ぶらせたりしないことです。相手の感情が高まっているときこそ、自分は冷静である必要があると思います。実際に、その時は険悪なムードになっても、何とかその場を収めて後日改めて説明に行くと、相手も冷静さを取り戻し、良い解決方法を提示できたこともありました。
 しかし、いわゆるクレーマーは別で、相手は確信的に苦情を申し立ててくるため、こちらも準備をして対応しなければ、火に油を注ぐことにつながってしまいます。特に、理路整然としたクレーマーは要注意で、とにかく揚げ足を取られないよう、「ウソはつかない」「約束は守る」といった、一見当たり前に思えることに注意して対応することが大切です。筆者もそのように対応したことで、ある意味でクレーマーの信頼が得られ、大きな問題に発展することを避けられた経験があります。
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