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ある下水道課職員の一日 (2022/10/24)
第13話
議会答弁×『牛ほめ』
作・那須 基
 「エム補佐、こちらでよろしいでしょうか」
 エー係長が、今度の市議会の建設委員会の課長答弁の原案を作成してくれた。どの自治体でも同じことだが、エクス市でも議会対応は大変である。議会で何か質問が出ようものなら、すべての業務を止めてその質問への対応に優先して当たることも普通にある。
 「どれどれ。……うん、じゃあここだけ直して、課長の了解を取ってくれないかな」
 「……わかりました」
 目に軽く緊張の色を浮かべてエー係長は、さっと席に戻り修正作業に取り掛かった。本会議で答弁するのは部長以上だが、常任委員会になると課長が基本的に答弁することになる。今回のように下水道関係の質問が出れば、ジー課長が答えることになるのだが……。
                              *
 「エーちゃん、勘弁してよ。これじゃあ答えられないよね。もっとエビデンスを入れてさあ。あ、あと、この読点の位置、読みにくいんだよね。文字のサイズも少し太いフォントで作ってもらえないかな」
 案の定、ジー課長はエー係長に細かすぎる指示を出してきた。普段ならエー係長をかばう僕も、議会答弁になると責任者は課長であるため、課長の指示に従わざるを得ない。これが部長答弁であれば、ビー部長の指示は、答弁の流れを簡潔に箇条書きにするだけのことが多く、あとは部長が自分で文章にして答弁してくれるので助かるのだが。
                              *
 ジー課長に何度も“エーちゃん”と呼ばれて腕にブツブツができないか心配したが、何とかエー係長は答弁書を完成させて総務課に登録した。しかし、僕は、
 「大丈夫だろうか……」
 と、一抹の不安を覚えた。と言うのも、ジー課長が議会で答弁するのは初めてなのだ。常任委員会は明日から3日間、早朝から終業時刻までびっしりと行われるうえ、そのようすは市民サービスとしてネットでも中継されるため、議場の緊張感は半端ない。
 ジー課長は緊張すると早口で細かい余計なことを喋ってしまうクセがある。僕の頭の中から、ジー課長が答弁をうまく乗り切れず、慌てて別の話をしてしまい、議場がストップしてしまうイメージを拭いきることはできなかった。
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 「実は、炎上しないか心配なんだよね」
 退庁後、駅までの道すがら、僕はエー係長に不安を正直に吐露した。辺りはもう暗い。それでも、議会の会期中にしては、エー係長が頑張ってくれたこともあり、まだ早いほうだろう。
 「炎上しちゃっていいんじゃないですか?」
 予想どおりの答えだが、エー係長の返事は素っ気ない。しかし、課長を補佐する立場もある僕としては、そのまま頷くことはできないのだ。
 「まあ、答弁書どおり読み上げてくれれば、問題ないと思うけどさ」
 ジー課長の指示どおり、行間の広さからアンダーラインに至るまで細かくセットしたのだから、答弁書は抜けの少ない完成度の高いものとなっている。後は、ちゃんと読んでくれれば良いだけなのだ。
 「でも、エムさん。この間の挨拶文の件、覚えてます?」
 エー係長が鋭く指摘した。そうなのだ。この間の雨水ポンプ場の完成式典で、ジー課長は読み上げ原稿をそのまま読まずにアドリブを挟んで余計なことを言い、来賓の市会議員から軽く顰蹙を浴びたばかりなのだ。
 調子に乗って余計なことを言い、空気を読めずに答弁を続けたりしたら……。再質問が出て、膨大な答弁作成作業になれば、僕らの残業が増えるではないか。とその時、怒りと心配と疲れが相まったせいだろうか、僕はつい、幽体離脱してしまった。
                              *
 ―――――まるで落語の『牛ほめ』だな。
 俺は幽体離脱すると、状況を落語に例えて客観視してしまうクセがある。
 『牛ほめ』の噺は、ちょっと間の抜けている男が、小遣い欲しさに、父親に言われて親戚の新築の家と新しい牛をほめに行くが、なかなかうまくいかないというスジの前座噺だ。
 父親が教えた家のほめ言葉は本来、「家は総体檜づくり、畳は備後の五分縁で、左右の壁は砂摺りで、天井は薩摩の鶉杢、床の間の掛け物は淵源禅師、お庭は総体御影づくりですな」だが、男はこれがうまく言えず、「家は総体へノコづくり、畳は貧乏でボロボロで……」といった具合に失敗してしまう。
 父親が教えた牛のほめ言葉は、菅原道真公の牛にあやかり「天角地眼一黒直頭耳小歯違」だが、父親が書いてくれた手持ちの紙を読めば良いのに、男は家と混同して「牛は総体檜づくり」とやってしまう。
 帰り際、男は父親に教わった「台所の柱の節穴を隠す方法」として、節穴の上に火伏の秋葉さまのお札を貼れば、穴が隠れて、しかも火の用心になると教え、結局男は親戚から小遣いをせしめることができる。
 ジー課長も無理をせず、初めから答弁書を読み上げてくれればそれで良いのだ。変にカッコつける必要はない。
                              *
 「エムさん? どうかしましたか?」
 返事もせずに半分無意識状態の俺を見て、エー係長が心配して言ってくれたが、俺はそれを手で制し、ドスの利いた低音口調で返した。
 「確かにそうだな。答弁書に、ちゃんと読むよう付箋でも貼っておこうか」
 エー係長は、俺の口調が冗談とも本気ともつかず戸惑っているようだ。頑張ってくれたエー係長には悪いが、ここでサゲなければ俺としては終われない。
 「ミスがなくなり、炎上の用心になるからな」

【ちょっと一言】
 担当する職務によって違いはありますが、国家公務員にとっては国会、地方公務員にとっては地方議会への対応が、公務員の重要な業務のひとつですので、いざ国会や地方議会が始まると、全職員が臨戦態勢となり、すべての業務に対して議会関連の業務が優先してしまいますよね。国民、市民の代表である議会が相手ですから、しっかり対応するのは当然なのですが、24時間体制で現場を管理している下水道担当部署から見ると本当に息もつけない期間です。
 さらに、実際に議会で答弁する者の立場で見れば、答を言い間違うことは許されないため、非常に緊張感が高まる時間でもあります。筆者も実際に議会で答弁をしたことがありますが、その当時、映像がリアルタイムでネット中継されたため、とても緊張したことを覚えています。
 ちなみに、『牛ほめ』で出てくる「火伏の秋葉さま」というのは、全国にある火除けの神様で、東京の秋葉原の地名は、明治の大火で焼けた一帯の安全祈願で秋葉さまを祭ったことに由来しています。
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