ある下水道課職員の一日
(2022/11/14)
第16話
経営計画×『たらちね』
作・那須 基
「ユー達のヘッドはまるでパンプキンだね! エクス市のファイナンスは、レッドアラート、アンダースタンド? ユー達がメイクしたマネジメントプランはマスト、シティファイナンスをブレイクするだろう。ゼロベースでリメイク! オーケー?」
県から出向してきたブイ財政部長は、アメリカの大学へ留学していたことが自慢だ。短気で、怒るとへんてこな英語が混じるため、何を言っているのかわからなくなる。
「こんなずさんな下水道経営計画では財政再建ができないから一から作り直せ、とせめて日本語で言ってくれよ」
ブイ財政部長にこってり絞られたジー課長が財政部長室を出るやいなやぼやき始めるのに、僕は少しだけ同情した。
*
「ジー課長。ポイントは下水道使用料を据え置かずに、いくらまで上げても良いか、ですよね。プランA、B、Cと3ケース作って検討してみます」
僕はごく当たり前にジー課長をサポートするため、いやエクス市の下水道事業を持続可能なものとするため、極めて合理的に言ったつもりだったが、
「でもさぁ、エム君、それだけじゃダメだ。維持管理費を下げるケース、建設改良費を下げるケース、それからやっぱり職員数にも手を付けないとならないし……」
と、ジー課長が思いつくまま細かく指示を始めたので、僕は慌てて遮った。
「わかりました。取り急ぎ資料を作って、改めて相談します」
維持管理費や建設改良費はもう考え得る限りコストカットしたし、職員に手を付けるなんて組合との調整ができるはずがない、とジー課長とは事前に十分に相談したのに、財政部長に怒られた途端にこれだから、ヒラメタイプと陰口を叩かれてしまうのだ。
*
数日後。ジー課長と僕はブイ財政部長室に入って、再説明を行うことになった。
「……ということで、今回は前回の案と比べて、下水道使用料を段階的に引き上げるとともに、維持管理委託比率を引き上げ、併せて改築更新事業を先送りしております。この数字をベースとして計画を策定してまいりたいと考えます」
いつになくジー課長は緊張の面持ちで説明した。
「イッツオーケー。バット、下水道チャージをレイズするのはメイヤーのコミットメントにアゲンストね。チャージをステイブルでプランをリメイク! アンダースタンド?」
下水道使用料を上げずに黒字の計画を作れるんだったら、とっくに作ってるわ! 下水道事業の経営をまったくわかっていないブイ財政部長に対して、心の中で怒りの叫び声を上げた途端、僕はいつもの幽体離脱が起きてしまった。
*
―――――まるで落語の『たらちね』だな。
幽体離脱状態になると、俺は非常に客観的になる。『たらちね』とは、ある男が世話してもらったお嫁さんに一つだけ欠点があり、彼女が京都の公家の出のため言葉使いが丁寧過ぎて話が食い違ってしまう噺だ。
男が彼女に名前を尋ねると「自らの姓名は、父はもと京都の産にして姓は安藤、名は慶三あざなを五光。母は千代女と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴の夢を見て孕めるが故に、たらちねの胎内を出でしときは鶴女と申せしがそれは幼名、成長の後これを改め清女と申しはべるなり」と返答するといった具合で、男は全く彼女の言葉が理解できずに辟易する噺だが、その掛け合いよりも、長台詞を演者が淀みなく喋るところに落語の妙味がある。
*
「あー、くだらねぇな。本当によ」
すっかり性格が変わり、目と肝が据わっている俺は心の中でそうつぶやくと、ドスの利いた低い大声で、淀みなく一息に言った。
「財政部長。釈迦に説法、孔子に論語のお言葉を返すようで恐縮ですが、市長の公約にある下水道の未普及地域の解消や老朽化したエス下水処理場の改築更新事業を実現するために、下水道使用料を変えずに下水道事業計画を作るのは、砂上の楼閣、画餅に同じと批判を受けることになるでしょう」
あっけにとられて俺を見つめるブイ財政部長とジー課長。おいおい、ジー課長までがそんな情けない顔で俺を見てどうするんだ。俺は酒に酔っている訳ではないぞ。
「いずれにしても、下水道使用料の改定とセットで市長の裁定をいただきたいと考えます!」
あー、くだらねぇ。俺は何をやってるんだ。市の幹部に対して逆らうようなことを言ってしまうなんて。もう下水道課はクビかもしれないが、ここでサゲなければ俺の中では終われない。しかも今回は、たらちねのサゲがそのまま使えるじゃねぇか。
「恐惶謹言。依って件の如し。発言は以上」
【ちょっと一言】
下水道事業の経営環境はほとんどの自治体で厳しい状況にあります。人口減少や節水により見込んでいた使用料収入が減少するのに加え、施設の老朽化、維持管理費の増大などの支出要因が増大しているからです。
状況は自治体によって異なるので、一律の処方箋がある訳ではありませんが、筆者の経験からすると、下水道使用料収入を変化させずに問題の解決を図ることは困難だと思います。なぜなら過去の使用料の水準は合理的に決められたものではなく、水道料金との見合いや首長の意向で決められてきたケースが往々にしてあるからです。
筆者としては、こうした過去の使用料水準の負の影響を数年で取り戻すことは困難と考えています。よく言われる官民連携はひとつの解決方法になり得ますが、すべての自治体で成立するとは限りませんし、事前に十分な検討がなされなければ、却って悪い結果をもたらすこともあります。下水道の整備が一段落した今こそ、これらの解決に真剣に取り組む時期になっていると考えます。
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