月刊下水道
ホームページ内検索
検索
定期刊行物・書籍のお申し込み お問い合わせ
Home ニューズスポット フォト・ギャラリー 下水道関連書籍 月刊下水道について 環境新聞について
ゲスイダーズマガジン インデックスに戻る
ある下水道課職員の一日 (2022/11/21)
第17話
官製談合×『死神』
作・那須 基
 「これから捜索に入りますので、そのままお仕事を続けてください!」
 掛け声とともに、どやどやと事務室に入ってきた大勢の捜査官。あらかじめ一部の者には知らされていたが、今日は地検の捜索の日だ。もちろん僕も初めて地検の人たちを間近で見るが、控えめに言って、恐ろしいという一言に尽きる。
 「皆さん、警察の人の言うことを聞いて、仕事は普通に続けてください」
 ジー課長もかなり緊張しているようだ。警察と検察は違う組織だが、さすがにこの状況では、言い間違いに気づかないのは仕方ないだろう。
 「エムさん。意外と普通のおじさんもいますね」
 エー係長が小声で僕にささやく。大勢の捜査官の前でひそひそ話をしてくるエー係長も大した人だが、言われてみると、現場の陣頭指揮をしているリーダーらしき捜査官が最も眼光鋭く、いかにもただ者ではない雰囲気を醸している。それに比べると、慌ただしく段ボール箱に書類などを詰めて運び出している捜査官は作業に没頭していて、その目つきは集中してはいるが心なしか穏やかだ。
 「それにしてもこんなことになるなんて……」
 半ば放心状態で、僕は心の中でつぶやいた。
                              *
 僕はエム補佐。エクス市下水道課で働く公務員だ。そもそも下水道課が疑惑に巻き込まれたのは、市の土木課のいわゆる官製談合に端を発している。土木課長自らが建設業者に入札情報を漏らし、業者がその情報を元に順繰りにグループ内で受注を繰り返すというもので、課長もいくばくかの金品を受領していたという典型的なパターンだ。
 課長が逮捕されたことは聞いているが、こういうケースではメディアコントロールが徹底していて、詳しい話は僕たちには伝わってこない。土木課長とはそれほど親しくはなかったが、定年退職間近のベテランで、技術力もあり優秀な課長と聞いている。
 「私たちはまったくやましいことはないので、仕事は普通に続けてください」
 ジー課長が繰り返す。いつもは後ろ向きで細かいジー課長だが、この場面ではそんなことはどうでもよい。確かに土木課の発注と下水道課の発注は、仕組みも業者もだいたい同じなので、下水道課の発注実績を押収する必要があるのは理解できるが、洗いざらい持っていかれると、普通に仕事をしたくてもできないではないか。
 「真面目にやってるワシらも迷惑してるんだ。これで業界全体が疑われてしまう」
 先日雑談に来た、地元の有力な中堅建設業者のユー社長の、この言葉は本心だろう。僕らも市議会に対して何らかの再発防止策を出さないとならない。本当に誰も得をしない状況になっている。
                              *
 「ご協力ありがとうございました」
 やがて夕刻になり、一連の捜査が終わると、眼光鋭い捜査官のリーダーは部屋の出口で一礼して、踵を返し帰っていった。きびきびとした所作はやはり訓練されたものを感じるが、今はそんな感傷に浸ってはいられない。
 「しばらく業務停止ですね……」
 ポツンとエー係長が誰にともなくつぶやいた。いつも元気なエー係長だが、さすがに書類からPCからすべて持っていかれ、捜査が終わるまで返せないと言われれば元気も出ない。
 すると、突然部屋が暗くなり、ブラインド越しに夕暮れの明かりが淡く差してきた。
 「あっ、停電……」
 エー係長が反射的に口にしたが、誰かが間違えて部屋の明かりを消しただけだろう。すぐに明かりは点くはずだ。しかし、この日の下水道課を象徴するかのように部屋が暗くなった瞬間、慌ただしい一日で精神的に疲弊していた僕は図らずも幽体離脱してしまった。
 実は僕はある種の特異体質で、何か精神状態が変化すると、「幽体離脱」状態になる時があり、瞬間的に気が遠くなるような感触に襲われ、同時に自分を含めた辺りの景色が俯瞰的に見えるようになる。
                              *
 ―――――まるで落語の『死神』だな。
 『死神』は、眼光鋭く自らを死神と名乗る老人に声を掛けられたさえない男が、助かる病人と助からない病人の見分け方とその治療法を教わり、やがて周囲が医者として男をもてはやし、金も名誉も手に入れた男はだんだんと天狗になっていく噺だ。
 治療法は、病に臥せる病人の枕元に死神がいれば助からず、死神が足元にいれば助かるので、呪文でその死神を追い払うというものだが、その呪文が「アジャラカモクレン、テケレッツのパー」で、演者のアドリブなどのおどけ方が落語の見せどころのひとつだ。
 天狗になった男は、最後は、お礼の大金に目がくらみ、死神が枕元にいる病人の布団を素早く頭と足元を逆にして呪文を唱えて死神を追い払う。これが死神を裏切るかたちになって死神を怒らせてしまい、自分の寿命を示すロウソクを目の当たりにして、男は戸惑う。
 市役所で長く勤め上げ、多額の退職金を目の前にしながら、脱法行為ですべてを失ってしまうなんて、まるで死神の話と同じではないか。業者がどのように土木課長に取り入ったかは知らないが、死神のように甘い蜜の言葉を耳元で囁いたに違いない。
                              *
 幽体離脱中で半分無意識状態の俺は、エー係長に向かって言った。俺でさえ途方に暮れるのだ。一本気で前向きなエー係長の心中は察してあまりあるが、エー係長に目を丸くして驚かれようとも、ここは定番のしぐさオチでサゲなければ俺としては終われない。
 「あぁ、ロウソクが消える……」
 そして暗い部屋の中で、俺は体勢を崩し、死んだように机に突っ伏した。

【ちょっと一言】
 さまざまな経験を積んだ私も、地検の特捜部の捜査官を目の前にしたことは一度しかありません。もちろん自分の疑惑ではなく、同じ土木系の部署の談合疑惑によって捜索が入り、すぐ隣の職員は無関係にも関わらず、本当に書類やらPCやら一式が押収されました。
 滅多にできない経験で、当時の私も色々な考えが脳裏に浮かびましたが、そのひとつは「特捜部の検察官は目つきが鋭い」でした。そんなどうでもいいことを考えてしまうくらい、その時は動揺したのだと思います。
 当然ですが、公務員に限らず違法行為は組織からも社会からも厳しく処分され、懲戒免職にでもなれば、金銭的ダメージも受けます。遵法精神は忘れないようにしたいものです。
定期刊行物
最新号の内容
次号予告
バックナンバー
ゲスイダーズマガジン
Adobe Readerダウンロード Adobe Reader
ダウンロード
PDFファイルの表示するにはフリーソフトAdobe Readerが必要です。
ご使用のコンピューターにインストールされていない場合は、Adobe社サイトよりダウンロードしてください。
サイトマッププライバシーポリシー広告のお申し込み
環境新聞社
(株)環境新聞社ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。
すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)Copyright2005 Kankyoshimbunsha,Co.,Ltd. All rights reserved.