月刊下水道
ホームページ内検索
検索
定期刊行物・書籍のお申し込み お問い合わせ
Home ニューズスポット フォト・ギャラリー 下水道関連書籍 月刊下水道について 環境新聞について
ゲスイダーズマガジン インデックスに戻る
ある下水道課職員の一日 (2022/12/12)
第20話
予算編成×『皿屋敷』
作・那須 基
 「エーさん、財政課の予算説明はどうでしたか?」
 僕は、来年度予算要求の財政課説明を終えて戻ってきたエー係長に声をかけた。僕はエム補佐。エクス市の下水道課で働いている。どこの市役所でも同じだが、次年度の予算要求は非常に高度な業務だ。
 「あー、エムさん。あんまりうまくいきませんでした……」
 エー係長は珍しく消沈している。今日はまだ第1ラウンドで、言わば担当者同士の意見交換。そんなに緊張することもないはずなのだが……。
 「そっかぁ。まあ、まだ最初だから。次は頑張りましょう」
 僕はエー係長を励ました。背後からジー課長のまとわりつくような視線を感じたが、あえて気づかないふりをしてその場を終えた。
                              *
 その2週間後、第2ラウンドの財政課説明の日が来た。今度は僕も同席し、少し内容に突っ込んだヒアリングが想定される場だ。
 「……以上が概要となります。では詳細は担当係長から説明します」
 僕はエー係長に説明を促した。
 「では説明します。お手元の資料の1ページをご覧ください。先ほど補佐から説明した来年度の雨水管渠工事についてですが、来年度は全体工程の最終年度となりまして、お示しした工事費をもって完成させたいと考えています。次に……」
 思わず僕はエー係長の横顔を見てしまった。ほぼ完ぺきな説明だと感じたからだ。そして、僕は先週のエー係長とのやり取りを思い出していた。
                              *
 「エムさん。来週の財政課説明の資料とシナリオを作りましたので見てください」
 いつもはにこやかなエー係長だが、第1ラウンドの件もあるからだろうか、若干緊張気味の声だった。
 「ご苦労様。どれどれ……」
 僕は、エー係長の作成した書類に視線を落とした。しかし、まさにその刹那、
 「もう少しポンチ絵を入れて、わかりやすくしたほうがいいね」
 と、いつの間にか背後に忍び寄っていたジー課長が言った。僕は思わず振り返って、下からジー課長のにやにや顔をまともに見てしまった。ふとエー係長に視線を戻すと、口を半開きにして、目には驚きと恐怖と、かすかに怒りの炎が読み取れる。まだ、腕にブツブツはできていない。
 「ジー課長。まずは私のほうで確認しますので」
 僕は、そう返すのが精いっぱいだったが、ジー課長は構わずに言葉を重ねてきた。
 「それから、このアンダーラインは青がいいよ。赤だと血とか別の意味に見えちゃう」
 今、色なんかどうでもいいでしょ? と、僕は思わずカッとなってしまい、言葉に出しそうになったが、エー係長は、
 「ジー課長、ありがとうございます。ご指摘よろしくお願いします」
 と冷静に答え、資料を持って立ち上がると、課長席のほうへ向かった。ジー課長も僕に背を向けて課長席へ向かった瞬間、エー係長は僕に目線を送ってきたので、やっと僕は冷静に戻ることができた。確かに、今こんなことで言い争いになっても仕方のないことではないか。
                              *
 「……それでは次の説明に移ります。9ページをご覧ください」
 「9」というエー係長の声で、僕はふと現実に戻ってきた。あの後、ジー課長の細かすぎる指摘で真っ赤になった原案を基にして、エー係長は黙って資料作成に取り組み始め、ここ数日は帰宅してからも資料作成に取り組んでいたようだ。今日の説明を聞く限り、きっと何度も練習していて、説明にも慣れているように感じる。
 その途端、僕はうっかり幽体離脱してしまった。僕は特異体質であり、何か感情に変化があると、たまに「幽体離脱」状態になる。幽体離脱時は、どこか他人ごとのような、自分の実感覚がなくなるような不思議な気持ちのまま、自分を含めた辺りの景色が俯瞰的に感じるようになり、極めて第三者的な考えになる。
                              *
 ―――――まるで落語の『皿屋敷』だな。
 『皿屋敷』は、有名な怪談話をベースにした噺だが、実はまったく怖くない。マクラこそ、夏場になりますと怪談噺がよろしいようで、などと使われ、場合によっては照明も工夫することもあるが、個人的には、内容としてはバカバカしい噺に属すると思う。
 出だしは有名な「皿屋敷」のお菊さんの物語で進行する。そして、実はその幽霊は今でも出るから、早速今晩見に行こうというところから噺は展開する。注意点は一つだけ、お菊さんの幽霊が皿を数えて「9枚」という声を聞いたら死ぬということで、その晩に行った者は「7枚」を聞いて逃げ帰るが、スリル満点で面白いから次の日も行こうとなる。
 これを何度も繰り返すうちに噂が広まり、全国的な人気となっていく。お菊さんの幽霊も、あまりの人気に「今日も一生懸命やらせていただきます」となるのだ。この時点で、もう怪談話の路線は完全に逸脱する。
 エー係長とお菊さんを一緒にすると怒られるかもしれないが、何度も練習して自信がついてくれば、相手に対する余裕も生まれ、上手に対応することができるようになる部分は、まるで『皿屋敷』のお菊さんを彷彿させるではないか。
                              *
 「……それでは最後の18ページの参考資料は、後でご覧ください」
 18……だと? 俺は、ついまたエー係長の横顔を見てしまった。真剣に説明しているエー係長には申し訳ないが、こんな流れになったらサゲなければ俺としては終われない。俺は、エー係長の説明が終わるやいなや、ドスの利いた低音で言ってしまった。
 「エーさん。昨日は徹夜で、今日は体がきついでしょう。明日はお休みしてください」

【ちょっと一言】
 予算編成業務は、国でも自治体でも非常に重要で、かつ労力が非常に多い業務になっていると思います。議員や首長の意向が入る場合も多く、他律的な面も大きいのも、疲弊してしまう要因になっていると思います。
 筆者も、何度も予算編成に携わりました。中心になって取りまとめたことも、一担当として関わったこともありますが、いずれにしても内部での数次にわたる議論を経て、予算担当に何度も説明する作業を経て、やっと予算案が完成する訳ですから、議会の議決を経て予算として成立した時の感動は非常に大きいものがありました!
 ちなみに、国難とも言える新型コロナウイルスの対策のための予算に携わった経験もありますが、その時の財務担当者とのヒアリングでは、それまでの経験とは比べ物にならないくらい簡単な説明で終わりました。下水道の予算の場合、「そもそも下水道とは――」から説明していたので、拍子抜けした覚えがあります。財務担当者も新型コロナ対策の重要性を認識し、きっと査定しにくかったからだと感じました。下水道も、その重要性を財務担当者に理解してもらうことが大事だと思っています。
定期刊行物
最新号の内容
次号予告
バックナンバー
ゲスイダーズマガジン
Adobe Readerダウンロード Adobe Reader
ダウンロード
PDFファイルの表示するにはフリーソフトAdobe Readerが必要です。
ご使用のコンピューターにインストールされていない場合は、Adobe社サイトよりダウンロードしてください。
サイトマッププライバシーポリシー広告のお申し込み
環境新聞社
(株)環境新聞社ホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。
すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)Copyright2005 Kankyoshimbunsha,Co.,Ltd. All rights reserved.