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ある下水道課職員の一日 (2022/12/05)
第19話
トッコウ×『転失気(てんしき)』
作・那須 基
 「ピー市の部長から話を聞いたんだが、うちもトッコウやろうぜ」
 部内会議の場で、突然ビー建設部長が言い出した。
 「ちょっと仕組みを調べて、後でメリデメを教えてくれ」
                              *
 自席に戻るとすぐに、ジー課長から指示が出た。
 「じゃ、エム君。すまないが、トッコウのメリデメについて、整理してくれ」
 予想の範囲とは言え、あまりの見事なスルーパスぶりに僕は軽く鼻白んだ。僕はエム補佐。エクス市の下水道課に勤めている公務員だ。
 「かしこまりました。何か特に必要な整理事項について、課長のご意向はありますか?」
 僕は何気なく言ったつもりだったが、課長の答えは意外なものだった。
 「そうだな。うちの市の普及率と経営計画にどう影響するのか、整理してくれ」
 「はあ。わかりました」
 僕は軽い違和感を持った。経営計画はまだしも、普及率にそんなに影響するのか?
 「課長。トッコウの整理でしたら、まずピー市の状況を整理したほうが良いような気もしますが」
 ピー市は、古くからある市内の工業団地においてトッコウを実施している。普及率への影響はわからないが、市の財政負担についてはデータをかなり持っているのではないか。
 しかし、僕の言葉のどこに引っ掛かったのだろう、ジー課長は少しムッとしたようすで、いつもより早口で返してきた。
 「エム君。うちの状況でいいんだ。うちでやるとしたら郊外の未普及地域しかないんだから。区域の設定、処理人口の見込み、財源と収支計画、1年ごとのスケジュール……」
 僕は合点が行った。トッコウの話に未普及地域が出てくる時点で、課長の勘違いが何なのか、わかったのだ。
                              *
 「トッコウ」と略称される言葉はいろいろあるが、ピー市の下水道でトッコウと言えば特公、すなわち「特定公共下水道」のことだろう。これは、主に工場排水を処理するために整備する下水道のことを指すが、課長は、きっと特定環境保全公共下水道事業と思い違いをしているのではないだろうか。特公は下水道法ではなく下水道法施行令にしか出てこない用語で、確かに紛らわしいので、僕は後者を特環、「トッカン」と略して呼ぶようにしている。
 特公は受益者が限定されているので、費用負担も求めやすい。しかし、これはどちらかと言えば古い制度で、下水処理場が整備されてきた現在では、仮に新しい工業団地ができたとしても、既存の下水処理場につないだほうが全体として効果的なケースが多く、全国でも整備実績は少なくなっている。
 しかも特公は工場排水がメインになるので、当然普及率には影響しない。ピー部長がどのように理解しているかはまだわからないが、課長と同じ誤解をしていると面倒だ。
                              *
 そんなことをつらつらと考えている間も、ジー課長の細かすぎる指示は止まらない。
 「……それに住民アンケートも必要だよね。アンケートの内容も決めて、予算を取って、スケジュールも決めないと……」
 ぼーっとしてしまい途中の指示をまったく聞いていなかったが、こんな細かい上に少しピントの外れた指示を落語の独演会のように続けていたのか。
 あーあ、と心の中でため息をついた途端、僕はつい幽体離脱してしまった。僕はある意味で特異体質の持ち主であり、精神状態が変化する時に、たまに「幽体離脱」状態になる。幽体離脱時は、気が遠くなるような不思議な感触のまま、自分を含めた辺りの景色が俯瞰的に感じるようになり、極めて第三者的な考えになってしまう。
                              *
 ―――――まるで落語の『転失気』だな。
 『転失気』は、寺の和尚が、医者に「『てんしき』はあるか」と聞かれたが、てんしきが何かわからない和尚は知らないとは言えないまま、ないと答えるところから始まる前座噺だ。てんしきが何なのか気になる和尚は、寺の小僧を呼んで雑貨屋や花屋で借りてこいと使いに出すが、どの店の主人もそれが何かわからず、適当に理由をつけて小僧を追い返す。結局は、医者に直接てんしきが何なのか尋ね、小僧はてんしきが「屁」のことだと知る。
 小僧は、全員が知ったかぶりをしていたことを知って、和尚に仕返しをたくらみ、「てんしきとは盃のことでした」とウソの報告をして、和尚も何食わぬ顔で小僧をほめる。和尚はウソだと気づかないまま、後日、寺に来た医者に「寺の立派なてんしきを見せる」と言って奥から盃を出して見せるが、医者は笑いながらてんしきは盃ではなく屁だと教える。騙されたと悟った和尚は小僧を呼び、人を騙すなんて恥ずかしくないのかと叱るのだ。
 『転失気』に出てくる和尚のような知ったかぶりなどせず、ジー課長にはビー部長の勘違いかどうか、その場で指摘してほしいものだ。そればかりか、肝心なことをなおざりにして部下に細かい指示を出すことに一生懸命になってしまうのでは、俺たちが困ってしまう。
                              *
 勘違いを認めたがらないジー課長に何とか機嫌を直してもらい、後日、ビー建設部長にジー課長とともに、特公のメリデメを説明することになった。
 「……以上が、今回の報告内容となります」
 「ご苦労様、エム君。なるほど、僕の勘違いだったようだね。ありがとう。短時間でここまでまとめるのは大変だったろう」
 ビー部長に素直にそこまで言っていただくからには、幽体離脱していなくても、ここはしっかりサゲなければ僕としては終われない。
 「ええ、屁でもありません」
 今回も僕は見逃さなかった。ビー部長がニヤリとするのを。

【ちょっと一言】
 特定公共下水道に限らず、「特定」の付く下水道用語、多くないですか? 「特定施設」「特定事業場」「特定下水道工事」など下水道法には似たような用語が沢山出てきますが、私も違いが簡単には説明できないかもしれません。(笑)
 私自身は、特定公共下水道事業に直接携わったことはありませんが、工場排水がほとんどであるため、環境基準や排水基準が強化されるたびに、特定の特定公共下水道事業を対象にして実態調査を行い、基準値が守られるかどうかヒアリングをしました。
 その際に、全国の特定公共下水道事業について知見を深め、歴史的な役割など理解ができました。ただし、事例も少なく新規の事業も出てこないので、その知識がどこまで役に立ったのかは不明です。(笑)
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