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ある下水道課職員の一日 (2022/12/26)
第22話
指定工事店×『湯屋番』
作・那須 基
 「えー、それでは、これから工事説明会を始めます」
 いつもの幽体離脱状態ほどではないが、自分では低めの落ち着いた声で、僕は開会を宣言した。僕はエム補佐。エクス市の下水道課で課長補佐をやっている。今日は下水管を布設するための近隣住民向けの工事説明会として、地元の公民館に来ている。
 「早速ですが、工事概要を説明します。お手元の資料をご覧ください」
 紹介する間もなく、ジー課長は演台に上がって説明を始めたが、通常は工事説明会で課長が来ることは滅多にない。設計担当者、工事担当者、受益者負担金担当者などがチームを組んで説明を行うことが多く、今日のように、たとえ自分の地元であっても課長自らが来るケースは少ないのだ。
                              *
 「まず工事区域についてですが」
 ジー課長は下水道の経験が長いので、手慣れたようすで淀みなく説明を始めた。今回の工事対象エリアは、上流部で検討されていた工場の建設計画が二転三転したため、地元住民からすれば、下水道工事がかなり延期になってしまい、今さらという地元感情が強い。
 「次にスケジュールですが」
 ジー課長は変わらないペースで淡々と説明を続けていく。説明が進むにつれて、少しずつ僕は会場の雰囲気が掴めてきた。どうやら、“何を今さら”感を通り越して、“今さらどうでも良い”感のほうが強いようだ。
                              *
 「最後に接続にあたってのお願い事項ですが」
 説明会が順調に進んでいくにつれ、今度は何だか僕のほうがハラハラしてきた。ジー課長の説明が、段々と脱線モードになってきたからだ。ジー課長は緊張すると早口で余計なことを喋ってしまうクセがあるが、調子が出てくると、今度は話が脱線してしまい、関係のない話をしてしまうことがよくあるのだ。
 「下水道工事に合わせて、家のリフォームを勧めてくる業者も増えてきます。こういう業者のなかには悪い業者もいて、台所など水回りだけでなく、下水道とは無関係な太陽光パネルや高価な蓄湯器を勧めてくる場合もあります」
 悪徳業者の情報は大事かもしれないが、下水道工事とはあまり関係ないのではないか。だが、僕の心の声はまったく通じることはなく、ジー課長は自分の世界に入って説明を続けている。
 「でもご安心ください。わがエクス市には指定工事店制度があります。この制度に沿って市の指定を受けた業者さんは、言わばお墨付きを得たようなものですから、安心してお近くのお店に工事をお願いしてください」
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 指定工事店制度を持っている市町村は多いだろう。下水道が整備されても、住宅側が工事をして排水設備を接続しなければ意味がないが、通常は敷地を掘り返して配管するだけではなく、ついでに風呂や台所などの大規模なリフォームを伴う場合が多く、結構な支出を伴うため、やはり安心できる業者に発注したくなるのが人情というものだ。
 「それではこちらをご覧ください」
 ジー課長がPCを操作し、画面を切り替えた。
 「あくまで参考ですが、こちらは24時間いつでも入浴可能なバスシステムです」
 えっ? そんな資料を入れた覚えはないが、スクリーンには、モデルが浴槽に浸かり、快適そうに微笑んでいる映像が映し出されている。
 「下水道が整備されれば、このような快適な生活環境が手に入ります!」
 いやいや、しっかり価格も表示されているし、風呂の営業と言われても仕方ないような内容ではないか。ジー課長の営業トークはさらに続く。
 「今ならコジェネレーションシステムを用いた電熱併給システムがお得です……」
                              *
 思わずスクリーンから目を背けた途端、僕は幽体離脱した。僕はある種の特異体質で、昔から、何か精神状態に強い衝撃が加わると、瞬間的に気が遠くなると同時に自分を含めた辺りの景色が俯瞰的に見えるような感覚になると同時に性格も変わり、冷徹で原理的で極めて第三者的な考えを持つ人間になってしまうのだ。
                              *
 ―――――まるで落語の『湯屋番』だな。
 『湯屋番』は、まさにバカバカしいお話の代表のような噺だ。
 道楽が過ぎて勘当され、居候中の若旦那が居候先の亭主に奉公を勧められる場面から噺は始まる。奉公先が湯屋(銭湯)と聞いた途端に身を乗り出す若旦那。目当ては女湯だ。
 奉公先へ向かうと湯屋の主人に頼み込んで、少しの間だけ番台へ上がらせてもらうが、日中のことで女湯には誰もおらず、若旦那は番台で、現実逃避の空想にふける。
 「女湯にやってきた婀娜な芸者に誘われて、吉原に行くと『お上がりあそばして』と来たもんだ。参ったね、こりゃ」と、若旦那は番台で、自分で自分の手を引っ張る。
 この一人芝居を、面白がって見ているのは男湯の客たち。「番台のケッタイなやつがオモロイからちょっと見よう」となっている。
 若旦那の妄想は延々と続く。「奥の間で芸者と返杯を繰り返すうちに、芸者は目の下ほんのり桜色、こっちを見る目の色っぽさ。そして、店を出るときに突然の雷雨だ。カリッ、カリカリッ、ガラガラガラ〜ン! 途端に芸者は悲鳴を上げるよ。キャーーーー!」
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 ガラガラガラ〜ン! キャーーーー!
 大きな音と、近隣住民から上がった悲鳴で、俺は我に返った。いかん、俺としたことが『湯屋番』の噺を思い出しているうちに、ついボーッとしてしまった。顔を上げてジー課長のほうを見ると、なんと演台から落ちてひっくり返っているではないか。
 「痛ててて……すみません」
 ジー課長は腰をさすりながら起き上がった。そのようすから見ると、大きなケガはないようだが、ここはしっかりサゲなければ俺としては終われない。
 「ジー課長、大丈夫ですか?」

【ちょっと一言】
 全国の多くの自治体で用いられている指定工事店制度は、住民の利便性を第一に考える地方ならではの制度だと思います。
 筆者も地方に出てこの制度をちょっと考えたときは、自由な営業を阻害しているような感じもありました。しかし住民にとって下水道の接続というのは、一生に一度レベルのレアなイベントで、自宅周りの配管工事はもちろん、家屋のほうでも台所やトイレ、お風呂などの水回りのすべてで工事が発生します。となれば当然、システムキッチンやシャワートイレ、バスシステムなども併せて検討することになります。
 そんなときに、どの業者に頼もうかと考えると、やはり実績のある安心できる業者さんにお願いしたくなりますよね。ネット社会の今なら、こんな制度ではなく、格付けアプリみたいなもので代用されるかもしれませんが、昔はこの制度が多くの健全な下水道工事を支えてきたのだと思っています!



*お知らせ*
 いつも「ある下水道課職員の一日」をご愛読いただきありがとうございます。
 「ある下水道課職員の一日」は新展開に向けて、第22話で一時休暇をとらせていだきます。楽しみにしていただいている読者の皆様、大変申し訳ありません。
 パワーアップした「ある下水道課職員の一日」は『月刊下水道』誌上で再開予定です。引き続きご愛読ください。
 ご感想、ご要望、作者への励ましなどいつでもお待ちしています。E-mail:gesui-hensyu@kankyo-news.co.jpまでどしどしお寄せください! (月刊下水道編集部)
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