ある下水道課職員の一日
(2022/09/05)
第6話
ポスターコンクール×「創作落語」
作・那須 基
「え、その話、今初めて聞いてるんだけど?」
デスクでPC作業をしていると、僕の部下のゼット係長が、係員のケー君に詰問調で尋ねている声が聞こえてきた。僕はエム補佐。エクス市の下水道課で公務員として働いている。誰もが多かれ少なかれ悩んでいると思うが、職場の人間関係は難しい。僕が担当している職員のなかでも、どうしても相性のようなものがあり、ゼット係長とケー君との関係は決して良好とは言えない。
「先週、毎年やってるコンクールということで説明しましたが……」
どちらかと言うと人の良いケー君は、おそるおそるゼット係長に食い下がったが、ゼット係長はまったく納得していないようだ。
「なんで、もっと早く教えてくれなかった?」
いかん。二人の話が完全に食い違っているようだ。僕はPC作業を中断し、二人の間に割り込むタイミングを見計らうべく、大きく息を吸った。
*
二人の間で話が出ているコンクールというのは、おそらく下水道のポスターコンクールのことだろう。
エクス市では、毎年小学生を対象とした下水道の啓発ポスターのコンクールをやっていて、市内の小学生を対象に、授業や夏休みの課題として実施してもらっている。僕は、下水道の教育は非常に重要だと考えていて、子どものうちから下水道のことを学んでもらい、下水処理場の見学などを通じて、下水道は臭いなどのネガティブなイメージが少しでも払拭されればありがたいと思っている。
ただ、小学生を対象にして実施するので、事前に市の教育委員会に協議して了解をもらい、実施要領の作成や審査委員会のセッティングなど、下水道課が担当する業務もそれなりに多く、担当のゼット係長とケー君には協力して進めてもらう必要があるのだ。
*
「ゼット係長。ケー君から一緒に話を聞いたじゃないですか」
その時、横からエー係長が突然穏やかな口調で口を挟んだ。年上のゼット係長に配慮しているのだろうか、いつもと少し違って尖ったようなトーンではない。
「ほら。ケー君も小学生の頃に入賞したことがあるって」
何となく諭すようなエー係長の口調に、ゼット係長も少しムッとした表情になったが、さすがにエー係長にまで食って掛かることはしなかった。
「あー、そうでしたっけ? 脳細胞の入れ替わりが早いので先週のことが残らなくて」
脳細胞の入れ替わりと記憶のメカニズムは違うはずだが、僕はそのことには触れず、大きく吸った息を静かに吐き出しながら言った。
「それとゼット係長。少し言い方には気を付けてください」
*
その途端だった。
気を付けたつもりだったが、やはり何か僕の心に変化があったのだろう。僕は、幽体離脱してしまった。子どもの頃から、僕は精神状態に大きな変化があると、瞬間的に気が遠くなるような感触に襲われ、同時に極端に冷静な人間になってしまうのだ。しかし。
*
―――――思い出せない。
幽体離脱状態になると、俺は状況を古典落語に例えてしまうクセがあるのだが、今回は適当な噺を思い出せなかった。たしか、この間聞いた新作の創作落語に、こんな感じの噺があったような気がするのだが……。
だが、俺は別の話を思い出していた。昔、エー係長が係員のとき、電話に出たら、
「バイトじゃ話にならん。男の職員を出せ」
と言われたそうだ。まだエクス市には女性職員が少ない時代で、おそらく電話の主は昔ながらの感覚で、エー係長のことを非常勤で働いてくれている女性職員だと思い込んだのだろう。今なら完全に差別的と言える言葉に対して、エー係長はカッとなって、周りに聞こえるくらい鋭い口調で言ったそうだ。
「担当は私です。男はいません」
そして、そのまま電話を切ってしまい、当時の上司に、電話のマナーについて説教されたのだそうだ。しかし悪いのは電話の主で、今の俺ならお咎めなしだろう。
エー係長も昔の話と笑っていたが、その話を聞いて以来、俺は気になっていることがある。この間のクレーマーの件もそうだが、エー係長がジー課長に強めの言い方をするケースが結構あるのだ。職場の人間関係というのは本当に難しい。つまりジー課長とエー係長もまた、関係は決して良好とは言えないということだろう。
*
「別に、ちゃんと注意してますけど?」
ゼット係長の言い方を聞く限り、こいつは俺の雰囲気が変わっていることに気付いていないようだ。だが肝心の落語のネタが思い出せないので、俺も今回はサゲを我慢せざるを得ないが、一言言ってサゲてやらなければ、俺のなかでは終われない。
「とりあえず、まず語尾を下げて話してくれ」
【ちょっと一言】
下水道に関するさまざまなPRが全国各地で行われていますが、国全体で実施する取組みとして代表的なものはやっぱり「下水道の日」ではないかと思います。前身の「下水道促進デー」の時代に9月10日と定められ、これに合わせて各種イベントが行われています。もちろん筆者も市でコンクールの実施に関わったことがあります。
イベントのひとつにはポスターや書道、標語などさまざまな作品のコンクールが行われ、全国の小学生が参加しています。子どもたちに下水道に関心を持ってもらい、親子で下水道や水環境について話し合ってもらえる良いきっかけになっていると思います。
筆者としては、さらに下水道使用料にも関心をもってもらい、日々下水道の運転管理に従事されている方々への思いも大切にしてほしいと思っていますが、お金が絡むとなかなかきれいな話にはならないですよね(笑)
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