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ある下水道課職員の一日 (2022/09/19)
第8話
水道管×『粗忽の釘』
作・那須 基
 「補佐、クリーナーを掛ける場所はこの辺でいいですか〜?」
 僕はエム補佐。ここエクス市の下水道課で働く公務員だ。うちの役所の建物は古いが、市長肝いりのIT化に沿ってフロア内にコード類が納められた結果、床がタイルからカーペットに変わり、コロコロと転がるハンディな回転式粘着クリーナーが欠かせない。
 「エーさん、了解です。その辺りでお願いします」
 建物自体は古いので、目立たない場所なら釘でも何でも比較的自由に打つことができる。ジー課長なら細かく掛け具の位置を指示するところだが、今日はテレワークで不在なので、心なしか課員はみんなまったりと仕事をしているようだ。
                              *
 しかし、そんな空気を切り裂くように、ジェイ君が電話口を押さえながら叫んだ。
 「エー係長、大変です! 業者が水道管に穴を開けました!」
 ジェイ君のただならぬ声に、課の全員の視線がひとつに集まった。
 「えっ?! 今日の試掘のボーリング?」
 エー係長もいつになく動揺した声を発した。その言葉で僕は状況を理解することができた。何という初歩的なミスだろう。下水管を道路に埋設するためのボーリング試験で土を掘った際に、現場をよく確認しないまま水道管に穴を開けてしまったに違いない。
 「エーさん、すぐ水道課に連絡して。それから現場の図面を持ってきて。ジェイ君、現場で水がどの程度吹いているか、水道管の太さがわかるか確認して」
 僕はてきぱきと現場と部下に指示を出すと、テレワーク中のジー課長の携帯を鳴らした。
                              *
 ……出ない。
 おいおい、テレワーク中は普通出るだろう、と思うのだが、うちの役所は専用の携帯電話が支給されておらず、個人の携帯電話がテレワーク中の連絡先なので、公務として考えると出ないのも責められない気もする。が、緊急事態でそんなことは言っていられない。
 不在通知の自動応答音声を確認して携帯を切ると、ジェイ君が報告してきた。
 「管径は400oだそうです!」
 僕はすーっと血の気が引いた。そんな太さの水道管に穴を開けたら大噴水が発生し、周囲は水浸し、家屋への補償も発生するだろう。最速で復旧したとしても、市議会で問題になるレベルになるのは間違いない。
                              *
 「ジェイ君、現場の状況を聞いてくれ」
 僕は努めて冷静を保ちながら聞いた。頭の中では大噴水の映像がリアルに再現されていくのがわかる。
 「特段、周辺に影響はないようです!」
 えっ? そんなはずはない。断水中だった? いや、そんな予定はなかったはずだ。え? 一体どういうことだろう。その瞬間、ひとつの可能性に行き当たった。
 「すまない、辺りに影響はないのに、どうして水道管に穴を開けたとわかったのか、聞いてもらえるか」
 「あっ、そう言えばそうですね。穴が開いたら噴水ですよね」
 エー係長もおかしいと気づいたようだ。
 「……すみません! 穴を開けたのではなく、管をかすめただけだそうです!」
 ジェイ君が、少しだけ緊張感を解いた声で報告した。重大事案ではあるが、最悪の事態は免れているようだ。僕は、その報告で放心した途端、幽体離脱が始まってしまった。
                              *
 ある種の特異体質と言って良いと思うのだが、子どもの頃から、僕は何かに追い詰められたり緊張を解いたりするなど精神状態に変化があると、瞬間的に気が遠くなるような感触に襲われ、同時に自分を含めた辺りの景色が俯瞰的に見えるような感覚になる時がある。
 例えるなら、SFやオカルトで出てくる「幽体離脱」のようなものだろうか。
 幽体離脱状態になると、僕は極端に冷静になり、時間の感覚が薄くなり、ある意味冷徹で原理的で極めて第三者的な考えを持つ人間になってしまうのだ。
                              *
 ―――――まるで落語の『粗忽の釘』だな。
 『粗忽の釘』の噺では、長屋に越してきた粗忽者の亭主が女房にほうきを掛ける釘を打ってほしいと頼まれ、うっかり壁に長い瓦釘を打ってしまう。長屋の薄い壁のこと、釘は隣の家の壁に突き出ているだろうと確かめに行く噺だ。
 そそっかしい亭主は最初に向かいの家に行き、釘が届くはずがないと言われ、隣家に上がると、まずは一服、暫く用件を忘れて話し込んでしまうが、漸く釘の場所を確かめ、それがなんと仏壇の中の阿弥陀様の頭上に突き出ていることが判明する。
 そもそも試掘で水道管をかすめてしまう時点で粗忽な業者だが、さらに穴を開けたかどうか肝心なことを確認せずに慌てて役所に電話をしてくるなんて、落語と同じくらいそそっかしいにもほどがある。
                              *
 「あー、くだらねぇ」
 幽体離脱中で半分無意識状態の俺は、心の中でそうつぶやくとエー係長に向かって言った。まだ下水道の経験が少ないジェイ君の報告に肝を冷やしたエー係長に言っても仕方のないことだが、ここでサゲなければ俺としては終われない。
 「エーさん。明日からそこには、ほうきを掛けることにしよう」

【ちょっと一言】
 下水道の工事中の事故は、人身事故はもちろん大変なことになりますが、物損事故でもとんでもない状況に陥ることがあります。筆者の経験でも、業者が通信線を切ってしまったり、水道管に穴を開けたりしてしまったことがありますが、その場の対応や、事故後の対応など、業務に大変な影響を及ぼすことが多いです。
 しかし、事故の原因は、普通では考えられないような“うっかりミス”の場合が多いと思います。例えば筆者の経験だと、水道管の場合は往々にして図面と現場の状況が異なることがあるのに、業者が図面を信じてボーリングをやってしまい、穴を開けてしまいました。
 ただし、逆説的ではありますが、工事にミスは必ず起こるものとして構えることも大事です。小さいミスでも適当に処理することなく、やがて起きる大きなミスにつながるものとして丁寧に対応し、対応したプロセスは個人としての、また組織としてのノウハウとして蓄積することが重要だと思います。
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