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ある下水道課職員の一日 (2022/09/26)
第9話
路面復旧×『らくだ』
〜エム補佐の休日〜
作・那須 基
 「エーさん〜〜、もっと飲みましょうよ〜」
 ジェイ君のあまりの酩酊ぶりに、思わず僕はエーさんと顔を見合わせた。
 「ジェイ君、大丈夫? お水もらって来てあげる」
 よく気が利くエーさんがさっと立ち上がり、水をもらいに行った。
                              *
 僕はエム補佐。エクス市の下水道課で働く公務員だ。趣味と言えるほどのものではないが、学生時代に落語研究会、いわゆるオチ研に入っていたので、落語を観るのが好きだ。休日の今日は、早起きしてテレビで落語を見た後、課のみんなと一緒に地元の蔵元に来ている。全国的に名前が売れている酒蔵ではないが、年に一度、地元向けに無料で日本酒の飲み放題イベントを屋外で実施していて、今日はジェイ君の呼びかけで、課の有志による意見交換会と銘打って、真っ昼間からただ酒を飲みに来たわけだ。天気も良い。
                              *
 ほどなくしてエーさんが水の入ったコップを持って戻ってきた。
 「ジェイ君、ほらお水」
 「あざ〜〜っす!」
 ジェイ君はコップを受け取ると、一気に飲み干した。
 「はー。昼飲み最高っすね!!」
 誰にともなく大声を出すと、ジェイ君は敷いてあったビニールシートの上でごろんと横になった。はずみで、妻のエヌ子が作ってくれた酒の肴の入ったパックから中味が少しこぼれてしまった。今日の肴は、日本酒に合うようにと妻が作ってくれた、特製のキュウリの浅漬けだ。大量のキュウリを適当に切って、ジッパー付きポリ袋に市販のめんつゆと一緒に入れただけのもので、一夜漬けでもよく漬かっていてとても美味しい。
                              *
 「あっ、エムさん、エーさん。その節は大変お世話になりました」
 声をかけられたので振り返ると、この蔵元の若社長だった。若社長は、旧態依然とした造り酒屋からの脱却を図るべくとても努力している、地元を代表する若手経営者だ。今回のイベント自体、若社長の発案だと聞いているし、エクス市も若社長に協力して、酒蔵周りの道路や公園の整備などできることでバックアップしているところだ。
 「社長、大盛況じゃないですか! なんか僕も嬉しいですよ」
 「本当にありがたいです。まあ酒なら売るほどありますから」
 冗談を交えて、若社長は陽気に笑った。
                              *
 「無理を言って、工事にご配慮いただいたおかげです。ありがとうございました」
 「いえいえ。エー係長が頑張ってくれたおかげですよ」
 若社長のお礼に僕はそう返し、エー係長を促した。元々は若社長が下水道課を訪れ、エー係長に相談したのがきっかけだった。蔵元の前の道路の下水管工事に際して、普通の道路の復旧工事だと見栄えが悪いので、特殊な舗装で復旧工事を行い、周辺環境に配慮したかたちで道路復旧ができないか、という相談だった。
                              *
 「私もまちづくりに参加できて嬉しいです」
 エー係長がにこやかに、しかし若干緊張気味に答えた。かなり難易度が高い相談内容だったが、国の交付金担当者や市の財政担当者と協議を重ね、どうにか若社長が納得するかたちで工事を行うことができた。僕もアドバイスはしたが、ほぼエー係長の仕事で、これはきっと彼女にとって将来につながる良い経験になったに違いない。
 「それでは私はこれで。まだまだお酒はありますから楽しんでください」
 若社長は笑顔で離れ、別の関係者の元へ向かっていった。
                              *
 あっという間に時間は経ち、イベントのお開きの時刻となった。とは言え、参加者がすぐ帰る訳ではない。そこらに泥酔した客がごろごろ転がっており、ずるずると続くのが毎年恒例の光景だが、今回は僕たちの足元にもジェイ君が転がっている。
 「ジェイ君、そろそろ帰るよ!」
 エー係長が強めにジェイ君の体を揺すったが、ぐっすり寝ていて微動だにしない。
 「やっぱりこうなったか。しょうがないなあ」
 僕はそう呟いてジェイ君の体を起こした瞬間、酒を飲み過ぎたせいもあるだろう、うっかり幽体離脱してしまった。
                              *
 ―――――まるで落語の『らくだ』だな。
 『らくだ』の噺は、乱暴者で町内の鼻つまみ者、「らくだ」と呼ばれる男がフグに当たって死んでいる所へ、兄弟分の乱暴者の男がやってくるところから始まる。特徴ある登場人物が多く高度な演じ分けが必要で、噺家の力量が試される大ネタだ。
 男はらくだの葬式を出してやろうとしたが金もなく、通りかかったくず屋を脅し、大家のところへ行かせる。葬式の酒と飯を出し渋る大家に、男はくず屋に命じてらくだの死体を抱えて踊らせ、肝を潰した大家は慌てて酒と飯を出す。同様に漬物屋から棺桶代わりの菜漬け樽をせしめ、男は、くず屋をねぎらい、大家に出させた酒を飲めと勧める。
 ところがくず屋、一杯もう一杯と飲まされるうちに目が据わり、態度が変わってくる。とんでもない酒乱の気に男もビビり、立場は完全に逆転するのだ。くず屋はらくだの死体を焼こうと言い出し、死体を樽に押し込んで男と火屋(ひや:火葬場)へ向かう。
 火屋についてふと見ると樽の底が抜け、死体がない。どこかへ落としたのかと、もと来た道をよろよろと引き返すと、道端に酔って寝ていた坊主を死体と間違えて樽に入れ、火屋に戻り火を付けると、坊主が目を覚ます。
 『らくだ』の噺の見どころのひとつは、らくだの死体をくず屋が持ち上げて、手足を持って「かんかんのう」という踊りを躍らせるシーンだが、ジェイ君を抱えたこの状態は、さすがに死体ではないものの、まさに『らくだ』の噺そのものではないか。
                              *
 「うーん……」
 俺が体を動かしたせいだろうか、ジェイ君が弱々しく声を発した。
 「ジェイ君、大丈夫か。そろそろ帰るぞ」
 俺はドスの利いた低い声で、ジェイ君を促した。
 「……あ、エムさん。あれ、エーさんは?」
 ジェイ君は、まさに『らくだ』の噺そのものの流れで意識を取り戻したようだ。ジェイ君がサゲを知っているとは思えないが、この流れになれば仕方あるまい。こいつにサゲさせなければ、俺としては終われない。
 「エーさんもちゃんといるぞ。それよりどうする、まだ飲めるのか?」
 「飲めます! 冷酒(ひや)でいいので、もう一杯!」
 よし、うまくサゲられた。明日からの仕事にも、頑張って取り組むことができそうだ。
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